アンネ・フランクの家(2)
2006-09-26


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アンネの家「アンネ・フランク・ハウス」は教会と同じ運河沿いで、ほとんど傍である 地図を持っていなくても、場所はすぐ分かる 日曜日ということもあろうが、教会辺からひとが同じ方向にむかっているのだ そのひとたちはレンガの建物の前に集まる 上の写真である 入場者は建物の半回り弱である 日本の美術館の特別展はこんな物ではないが、ヨーロッパでは珍しい方だ

 しばらく並んでから入場 料金は7.5ユーロ(日本円で約1125円) 中はなるほど狭いしきれいではないが、もともとアンネの父の会社(倉庫など)であるので仕方がない それにひとも並んでいてゆっくり進むので、余計に狭く感じる 写真で有名な隠れ家の入り口は想像していたより広い

 写真を・・と思ったが、監視カメラが睨んでいる それに入り口で尋ねても「ダメ」といわれていた 話はもどるが、その入り口にある「監視テレビシステム」はすごい 係りがかかりつけで、1秒ごとに各部屋のカメラを切り替えて見ている 客のおかしい動きがあると、トランシーヴァーで部屋ごとの担当に、「ポール!*********!」とか指示を出している けっこう「怪しい奴」はいるみたいだ

 話はもどる 階段は思っていたより広いし、つながった部屋も思っていたより広い しかし8人も隠れていたのだから、妥当な広さだろうか ふつうは開けられなかった窓からは、中庭やそこに生えている木やよその窓が見える  ということは反対からも見えるのだ 部屋の家具類や壁に貼った当時の「アイドル」だっただろう映画スターの写真もあった 

 展示の日記の一部や生活用具などよく保存されていると思ったが、あとで読んだここの公式本「ものがたりのあるミュージアム」によると、「・・1944年8月4日の逮捕後、隠れ家はドイツ占領軍の命令によって家具などの備品がすべて持ち去られましたが、(戦後)隠れ家時代の様子をより鮮明に伝えるため、建物前面と裏の家に家具を入れて、撮影したカラー写真もカタログに掲載しました ・・・・」 蛇足ながら、この本は日本語版を含め、多くの言語で売られている 一部10ユーロ(日本円約1500円)である 因みに私たちは日・英の二部を購入した

 ということは、建物と日記・写真等の展示品は本物だが、家具什器類は当時の物(その時代のもの)であって、置いてある金ダライもアンネが顔を洗ったそのものではない しかしだからといって、そこの価値が下がる物ではない もちろんTDLやUSJとはまったく別物である このたびの旅で訪問した「レンブラントの家」も「ルーベンスの家」も、厳密には当時の物ではない 修理、修復したり展示品を他所から戻している 

 だからこういう「生家とか住んでいた家」は、「タダ行きました」・・ではなく、訪問の目的や訪問者の「生活、人生で訪問がどういう意味があるのか」という「見る側の人生観、価値観」が問われるのである そうでなければ、あまり意味のないことである また見学した後の行動がさらに大切である

 わたしは前段では「家」の細かい説明らしい物をつけたが、もともと、家の解説が目的ではない もっと上手に説明される作家とかレポーターがいくらでもいる 要は、このくらい「貴重な象徴的な物」はあまりないということである

 実際の所、アンネのような「不幸な少女」は、ナチの時代には「掃いて捨てるくらい」いた それが日記という記録、それを本に出来た生き残った父と仲間、それに戦後すぐの「反戦、反ファシズム」の平和志向、そして最大のものはバックにある世界有数のお金を持ったユダヤ人組織の存在という条件が整っていたからだ


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