PPMのマリー・トラバースさん、安らかに眠れ
2009-09-19


今日、あの「PPM」のマリー・トラバースさんの訃報に接した 享年72歳 死因は白血病だそうだ ピーター・ポールアンドマリー(PPM)といえば1960年代から70年代にかけて一世を風靡した米フォークソング・グループである 「パフ」「花はどこへ行った」「悲惨な戦争」「レモントゥリー」「天使のハンマー」「500マイル」「虹と共に消えた恋」「風に吹かれて」「わが祖国」など多くの名曲、ヒット曲を出し、ヒットチャートのトップを独占し続けた

 日本でも多くのファンがいたが、中心は十代二十代の若者であった 彼らはただ聞くだけでなく、一緒に歌ったりPPMのようにギターを弾いてハモらせて楽しんだ かく言う私もその一人であった PPMの曲は覚えやすいメロディーだけでなく、彼らの美しいハーモニー、難解ではない素敵なギター、そしてたった一人の女性ヴォーカルであったマリーの声は一度聞いたら忘れられなかった

 歌詞は今の日本のヒット曲のような「ただの若者の歌」ではなく、「反戦」「平和」の思想や時としては「反体制」、「反原発」で「人の生き方」を考えることもバックボーンに大きく流れていた ちょうどヴェトナム戦争がひろがり、そして行き詰まり、アメリカ国民のなかにも息子たちを失ったひとびとのことが報道されていた時代である そういう空気のなかで、PPMを始めとしてボブ・ディラン、ジョーン・バエズなどがアメリカの若者の心を捕らえ、大きなうねりとなっていた

 PPMの曲はどれもただ「反戦」を声高に叫ぶのではなく、表面は若者の恋や愛をテーマにしながら、人間の心に「人間同士が殺し合う不合理さや理不尽さ」を訴えていた 「自分も死にたくない、愛する人にも死んで欲しくない、敵も殺してたくない」と伝えた 「国家が国家のため行う戦争」に反対するプロテスト・ソングであった

そういう意味で、当時またはその後に続いた日本の「フォークソング・ブーム」とはやや性格が異なっていた 日本では「ブルーシャトー」「若者たち」のように、歌詞が個人の心の問題や個人間の愛や夢が中心で、社会・国家のあり方までは言及していなかった 米ではヴェトナム戦争で仲間や知り合いが死んでしまう環境だからこそ、前述のような機運が高まったのであろう

 私たち(ベイビー・ブーマー)の学生時代も少し前から「安保闘争」や当時では「日韓条約」、「東大紛争」などがあり、当時の学生意識も今とは違って政治的に高いものがあった 「私たちが社会を変える」「世の矛盾を問う」という問題意識や連帯意識があった そういうなかで、アメリカのプロテストソングや反戦フォークソングは日本の若者にもかなりの影響を与えた

 しかし、こういうアメリカの学生・若者の反戦運動も弾圧されたり、退廃的なヒッピーなどが派生し、日本では「学園闘争」が武闘や仲間割れなどで挫折し、消滅していった 学園を巣立った若者たちは、「ふつうの社会人」になって高度経済成長時代を支えていった そういう「古い懐かしい」時代のメモリーの一つが「フォークソング」や「うたごえ」であった いずれにしてもあの「天使の歌声」、マリー・トラバースさんの冥福を祈りたい そして"Viva PPM !"
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