「関ヶ原」以上の戦い:ワーテルロー
2008-07-22


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私たちの「ベネルクス三国ドライヴ」は大変欲張りな物であった 主な美術館をみる、歴史上でてくる場所に行く、歴史的人物ゆかりの場所を見る・・などヨーロッパ在住者でもないのに、欲張りすぎていた

 そういう中に、あのナポレオンが敗北、歴史から名が消えた大会戦の場所、ワーテルローがあった 英語ではウォータールーという ベルギーの首都ブルッセルからアウトバーンを使うと、けっこう早くワーテルローの村に着く

 ところが大誤算があった いつものように「予約なし」で宿を探すと部屋は全くなし!、というのはこの時期9月はアムステルダムは会議シーズンで、首都郊外に当たるこの地も予約で埋まっていた 探し回ってやっと「古戦場」から何十キロも離れた山中のホテルに泊まれた

 翌日、やっと古戦場に着いた 有名な割には閑散とした農村であった もちろん「パノラマ博物館」など「日本的施設」はあるが、それ以外は「ナポレオン饅頭」や「ワーテルロー煎餅」の店などはなかった!

 古戦場を示すただ一つの物は「ブッテドリオン」と呼ばれるライオン像が頂上にある人口の丘、ナポレオン没落後に連合国(戦勝国)が土木工事で作った物だそうだ 例えれば、関ヶ原古戦場に家康軍が巨大な戦勝記念物を作るに似ている

 しかしながら(残念ながら)、世界における歴史的意味は関ヶ原の比ではない 「フランス革命の後継者」と自称した(皇帝)ナポレオンが、ヨーロッパの英・蘭・プロシア王国連合軍に大敗北し、セント・ヘレナ島に流される この後、彼は「毒殺」されたと言われる

 こうしてヨーロッパは歴史が少し巻き戻されたが、有名な英国の大財閥ロスチャイルド(ロスチルド)はこれを機に大儲けをして財をなしたといわれる こうしてまたもやイギリスはしばらくの間、歴史の表面に居続けることになる 以後「ワーテルロー」の名は「完膚無き大敗戦」をさすようになった

 そういう「歴史の大舞台」も今は静かな農村である

内部リンク:写真・ワーテルロー
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内部リンク:ベネルクス・ドライヴ・ダイアリー第七日
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